彼此ともつかぬ場所


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□ かえりみち □

 車一台がやっとの細い路地は、不気味なほどに静まり返っていた。
 建物の影が、道路を黒々と染め上げている。日陰に足を踏み入れると、思った以上に涼しい風が、友成の身体を包み込んだ。首筋の汗がみるみる引いてゆくのを感じて、友成は大きく息をついた。
 隣の駅までは、いつもの通学路の二倍近い距離を行かなければならないため、何か特別な理由でもない限り、この道を使うことは滅多にない。こんなに涼しいんだったら夏の間だけはこちらを使うことにしようかな。瓦屋根の古い町並みの中を歩きながら、友成はぼんやりとそんなことを考えていた。
 と、線香の香りが友成の鼻腔をくすぐった。
 辺りを見回せば、左手の土塀の向こう、木々の合間に一際大きな屋根が見えた。少し前方にある木戸まで進むと、全開になった木の扉の脇に、色褪せた筆文字で『無量寺』と記されていた。
 なんとはなしに、友成は木戸の向こうを覗き込んだ。
 綺麗に手入れされた植栽の向こう、重厚な佇まいの本堂があった。その軒下をぐるりと廻る濡れ縁には、無数の灯篭が整然と並べられている。光源は蝋燭だろうか、ちろちろと揺らめく灯りに、急に夕暮れが深くなったように友成には感じられた。
 ――そうか。お盆、なんだ。
 死者を迎える、特別な日。
 友成の胸の奥が、カッと熱くなる。
 彼岸に旅立ったばかりの彼女もまた、現世うつしよに引き戻されることになるのだろうか。
 おそらくは断腸の思いで袂を別ったこの世の全てのものと、日を置かず再会することになるのだろうか。
 だが、それはあくまでも一時的で一方的な帰郷に過ぎない。自分以外のものと触れることは勿論、誰かと言葉を交わすことすら叶わないまま、期日が来れば彼女は再び黄泉の国へと連れ戻されるのだ。
 ――あんまりだ。
 ずっと入院生活を余儀なくされ、一度も高校に通うことなく命を散らした、我が級友。どんなにか、無念だったろう。どんなにか、悔しかったろう。まだまだ未練を抱えた状態で、未練を残した世界を垣間見させられるのだ。またすぐに川の対岸へ追いやられてしまうと解っているのに。
 鼻の奥がツンと痛くなって、友成は歯を食いしばった。とにかく平常心を取り戻そう、と、両のこぶしを握り締めたその時、至近距離で大きな羽ばたきの音がした。
  
 驚いてそちらを振り返れば、薄暗い路地を背景に、一羽の大きな鴉が真っ直ぐ空へ飛び立っていくところだった。
 オレンジ味を増した陽光を受けても、一向に薄まらぬ闇色の翼。
 その様子を友成が苦々しげに見送っていると、上空から数枚の黒い羽根が降ってきた。あるか無きかの風に翻弄されながら、くるくる、ひらひら、と地上に向かって舞い降りてくる。
 細い指が、それをそっと摘み取った。白くて細い、人形のような指先が。
  
 友成の喉が、大きく上下した。
 いつからそこにいたのだろうか、浴衣を着た一人の少女が、黒い羽根を手に佇んでいた。
 茜色に染まりつつある世界とは逆に、路地の影はいよいよ濃ゆく、だが、その黒々とした暗闇において、少女の存在はまるで光を発しているかのように眩かった。
 白地を微かな色味の花々で飾った浴衣、そこからすらりと伸びた手足は、透き通るように白い。鳶色の瞳や漆黒の短髪が、肌の白さを一層引き立てている。
 もしかしたら、これはこの世のものではないのかもしれない。
 友成がごくりと唾を呑み込むと同時に、その人形ひとがたはにっこりと微笑んだ。
「こんにちは」
 まさしく、花ほころぶ、とはこういうことを指すのだろう。形の良い唇が絶妙の弧を描き、柳眉がそっと緩む。薄っすらと上気した頬は、昔、図録で見たビスクドールを友成に思い起こさせた。僅かな衝撃でも粉々に砕け散ってしまいそうな、繊細なる芸術作品を。
 しかし、この少女の瞳は、とても硝子球には見えなかった。炎を封じ込めたかのような双眸の輝きは、どんな困難にも屈しない強い意志を感じさせる。
 堀川さんも、こういう感じだったんだろうな。友成は、何故か唐突にそう思った。長きに亘る病院生活のため色白で、儚げで、でもしっかりと自分を持っていて……。
 と、そこでようやく友成は、我に返った。大慌てで「こんにちは」と挨拶を返してから、この不自然な間を取り繕おうと、咄嗟に少女の手元を指差した。
「それ、カラスの羽根……」
 自分の発した台詞の間抜けさ加減に内心頭を抱えつつも、少女がにっこりと笑ったことに、友成はそっと息をついた。
「綺麗ですよね」
「気持ち悪くないの?」
「どうしてですか?」
 少女の眼差しはとても真剣で、それにいざなわれるようにして友成はつい言葉を重ねる。
「だって、カラスと言えば、ホラー映画とか怪奇小説の定番だし、童話なんかでも碌な扱いされていないし」
 苦さを増した友成の声に、少女は少しだけ悲しそうな表情をした。
「言われてみれば、『カラスと白鳥』なんて、寂しい物語ですね」
 それはイソップ童話の一つ、白鳥を羨んだ鴉が、報われぬ努力の果てに命を落とすという物語だった。
「それはまだいいよ。『おしゃれなカラス』とか『ふくろうの染物屋』とか、酷いものさ」
 他の鳥の羽根で自分を飾って鳥の王を目指した鴉、無茶な重ね塗りの結果黒い羽になってしまった鴉。童話や昔話に登場する鴉は、ことごとく悪者であり、嘲笑の対象であった。絵本の朗読でカラスが登場するたびに、苗字をネタに友達にからかわれた幼少期を思い出し、自然と友成の口調は強くなる。
「カラスなんて、狡猾で、強欲で、優柔不断で……」
 でも、自分はどうしてこんな子供みたいなことを、初対面のひとに語っているのだろう。そう思いつつも、友成はおのれを止めることができなかった。
「……カラスなんて、嫌いだ」
 吐き捨てるようにそう言い放った友成を、大きな瞳がじっと見つめる。
 深い眼差しを更に深くして、少女は友成に向かって一歩を進んだ。
「でも、カラスって、昔の日本では吉兆とされていたんですよね。例えば、ほら、ヤタガラスとか」
 どこかで風鈴がちりんと鳴り、少女の白い頬に黒の髪がかかる。そのコントラストの妙に、友成の心臓がどくんと脈打った。
「それに、黒は、全ての光を吸収してやっと出来上がる色ですよ。沢山の色を内側に秘めているなんて、素敵じゃないですか――」
 そこまで言って、少女は口を引き結び、それから静かに言葉を継いだ。「――烏丸君」
  
 刹那、夕闇が急に濃くなった気がした。
 友成の鼓動は、今や早鐘のようだった。カラカラに乾いた舌を必死で動かして、何とか一言を搾り出す。
「……君は……?」
 少女は、長い睫毛をそっと伏せた。
「堀川千晶です。驚かせてしまってごめんなさい。でも、どうしても、烏丸君にお礼が言いたくて……」
 ゆめか、まことか。
 今にも消え入りそうな少女を、視線で引き止めようと言わんばかりに、友成は目元に力を込めた。
「……いつも手紙をありがとう。一人じゃないんだ、って、本当に嬉しかった……」
 か細い声にかぶさる、風鈴の音。それも一つや二つではない、幾つもの音色が重なったかと思えば、路地を風が吹き抜けていった。
 風は、少女の手から黒い羽根をもぎ取ると、再び空へと舞い上がる。
 友成は思わず一歩を踏み出していた。行かないでくれ、その一心で、真っ直ぐ彼女に手を伸ばす。
 必死の思いで掴み取ったその手は、折れそうなほど細く、だが、とても温かだった。
  
  
  
* * *
  
  
  
「だいたい、先生がはっきり言わないのが悪い」
「そんなこと言われても、昨日はもういっぱいいっぱいだったのよ」
 翌日、学校図書館に向かう途中で岡田教諭を見つけた友成は、彼らしからぬ刺々しい声で彼女に詰め寄った。
「だからね、嘘は言ってないわよ? 堀川さんが退院した以上は、もう間に烏丸君が立つ必要はないでしょ?」
「でも、あんな喪服みたいな服着て、暗い表情で『必要ないわ』なんて言われたら、誰だって誤解するに決まってます」
 ピンクのジャージの上着の裾をもじもじといじりながら、岡田は申し訳なさそうな表情を作った。
「本当は、昨日、あの後に学会に出張の予定だったのよ。だからスーツ着てたの」
「泣き腫らした目してたし」
「だって、保育園から、ウチの子が高熱を出して入院したって連絡を受けて……、前も風邪から肺炎までいって一週間入院することになったし……、あまり丈夫な子じゃないから、心配で心配で……、出張は山形先生に代わってもらえることになったから、引き継ぎして、一刻も早く帰らなきゃ、って状況だったのよ」
 山形先生とは、司書の先生のことだ。大学で国文学を専攻していたらしいから、国語教諭である岡田の代打に選ばれたのだろう。
「それに、先生、俺の写真を堀川さんに見せたんですね」
 文句はとめどなく溢れてくる。鼻息も荒く、友成は更に言い募った。
「いや、烏丸君の写真というか、クラスで遠足に行った時の写真を、ね。でも、クラスメイト相手の話だし、何も問題ないと思うんだけど」
 ぐ、と言葉に詰まる友成。
 と、岡田が首をかしげたのち、ずずい、と友成のほうへ身を乗り出してきた。
「どうして、突然、先生が堀川さんに写真を見せたことを気にするの?」
 しまった、と眉間に皺を寄せた友成に、「どうして?」と岡田が食い下がる。
「し、失礼します」
 やぶへびだったか、と慌ててきびすを返して、友成は渡り廊下へ飛び出した。
  
 相変わらずの蝉の大合唱の中、ミズナラの木が涼しげな影を投げかけている。時折揺れる木漏れ日に風を期待するも、うだるような暑さは変わらず、目で涼を夢想するしかない。
 と、微かな羽音とともに、大きな影が足元をよぎった。カァ、とのんきな声が、葉ずれの音に溶けてゆく。
 友成は苦笑を浮かべて、図書館の扉を押し開けた。
 
 
 
     〈 完 〉



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Date:2009/11/16
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